2月22日のこと

 きょう、マリッジコード・ミロスの本を紹介してくださったお友達から、電話があったので、「2月22日に本が届いて、その日は、朝から不思議な日だったのよ」と話したら、携帯に「幸せを開く7つの扉」というタイトルで次のようなメールを転送してくださった。それで、久しぶりにユニティ自然農園 | 有機栽培(オーガニック)の無農薬野菜・無農薬米などの宅配,通販|広島県東広島市 |さんのサイトを訪問させていただいて、また、びっくりしてしまった。

  <幸せを開く7つの扉>
 2月22日午後2時より1時間の間、地球上の全生命を清める恩寵の光が降り注がれます。この光はこの時までに利他性をアナーハタ・チャクラ以上に持ち上げ、救済に到達した者のみが受け取ることの出来る聖なる光です。光を受け取ることが出来たすべての者は、この日の午後3時に波動がアナーハタ・チャクラからサハスーラ・チャクラへと突然持ち上げられ、神聖な愛の波動を体現することになるでしょう。このとき、自分の心の中にある古い傷が癒されていることに気づくでしょう。そして自分を傷つけた者を許すことが出来る自分になっていることを発見するでしょう。波動が急激に持ち上げられるため、めまいを感じたり、酔って宙に浮いているような感覚を持つ方がいらっしゃるかもしれませんが 慣れていただくより他はありません。地球上の人類はこのときから、約4分の1のサハスーラチャクラで振動している人と、残りの約4分の3のムーラーダーラチャクラで振動している人に完全に2分されてしまうでしょう。この光を受け取れるか否かは今後の人生において極めて重要な意味をもちます。すでに救済に達している者以外のすべての覚者・霊・人類はできるだけ早く救済のメッセージ6に示した方法で利他性を必要な条件まで高め、22日の恩寵の光を受け取れるように努力してください。この情報を受け取った方は、できるだけ多くの方に伝えて下さい。竹下雅敏
(竹下さん自身がぶれている方ではない様ですので、どこまで真実なのかは自分の感性で感じてみて下さい)Tより」

 確かに、2月22日は、不思議なエネルギーを感じた一日だった。でも、そんな特別な恩寵の光が降り注がれていた日だったとは、びっくりしてしまった。ニャンニャン猫の日だなんて、暢気なことを書いていて、恥ずかしくなってしまう(^^ゝ
 
  でも、何も、知らなくてもちゃんとエネルギーを感じ取らせていただきました。
 
  ありがとうございます\(^o^)/
 
 その日は、ハワイ島・コナ生まれの海洋深層水も届いた日で、しっかりと波動の高いお水を体内に補給することができたし、中国産の赤松の精油を主成分にした森林浴効果のある入浴剤でお風呂に入ることもできた。精神だけでなく、身体もしっかりと労わってあげなくっちゃ・・・(*^_^*)

 きょうは、(株)ありがとうドットコムから、日本くま森協会の冊子が、ドット届いた。心あるかたがたのお手元に配布させていただくことができますように(^_^)V
 昼間、なんとなく、立ち寄った文房具店で郵送用の封筒も購入していたのは、丁度、良かったと思う。

 それから、ちょっと、長いのですがこんなメッセージを見つけました。
 いつも、マインドに翻弄されているわが身なので、マスターの境地を理解するのは相当に難しいし、実行するのは、さらに難しい。スピリチュアルなものの見方は、3次元世界での良い悪いの常識とは、確かに大きく外れている。一般社会の通念からは、誤解されても当然かもしれない。それでいて、敢えて、こういう物の見方(起ることは、必然ですべてOK!で、内面世界は外側の世界に揺れ動かされないというような)が、できるような自分になりたいとこのメッセージを読んで思ったのである。
 
☆マスターからのメッセージ☆(*^_^*)

真の悟りとはどういうことか?
あなたがたは愛そのものでありそのままで完全でもある

しかし ある高度な視点から観れば
真の悟り(真の覚醒)を開いてない人というのは
すべて不幸で悲惨である
相対性領域から抜けてない人はすべてある意味不幸である

こううわたしが述べれば
いや わたしは悟りを開いてないが 今まで幸福だっし
今も幸福で満足してるという人はいるだろう。。。
しかし それは単に良いカルマを生きてるだけで
今世の人生では 闇の体験があまりない楽な人生を生きてる
にすぎない 生まれてくる前 そのような人生計画を立てただけ
にすぎない 次の人生が幸福な人生になるかどうかはわからない

輪廻転生の中では幸福な人生も不幸な人生も様々な人生を生きる
その体験の中では喜ばしいものばかりではない
エス大師や仏陀は 相対性領域にいるもの 真の悟りを得てない
者を 相対性領域から抜け出させて 善悪を超えた世界を導こうと
して地球という惑星に来た
彼らの動機は愛だ 相対性領域から抜け切れず
人間界を輪廻する者を哀れに思われ そこから抜け出よ
と言っているのである
悟りを開いてなくても幸福だ という人よ
わたしはあなたの考えを否定するつもりは一切ない
しかし 問おう
あなたがたは外的状況に一切左右されない境地に到達してるだろか?

○親友から裏切られて1パーセントでも傷つくなら
1パーセントでも怒り憎しみ悲しみショックを
受けるならば あなたは真の幸福とは言えない
○恋人からふられる裏切られるなどの出来事に遭遇して
1パーセントでも怒り憎しみ悲しみショックを
受けるならば あなたは真の幸福とは言えない
○身体が不自由になり自分はベットで寝たきりで人の世話になる
だけの人生になっても幸福以外の心境を一パーセントでも感じる
ならば あなたは真の幸福ではない
○人から暴力を受けて
1パーセントでも怒り憎しみ悲しみショックを
受けるならば あなたは真の幸福とは言えない
○家に泥棒が入り 全財産を盗まれて
1パーセントでも怒り憎しみ悲しみショックを
受けるならば 真の幸福ではない
その泥棒にすら 心から愛して 心からその泥棒のために
祈れないなら その泥棒が幸福になりますようにと
心の底から 願う心境になれなければ
真の幸福ではない
○あなたを迫害して殺しに来るものがいた場合
1パーセントでも恐怖怒り憎しみ悲しみショックを受けるならば
あなたは真の幸福ではない
○あなたの家族が殺されて
1パーセントでも殺した相手に対して怒りを抱くなら
あなたは真の幸福ではない
(↑死は開放であるが ただし
殺された時に受ける他人の苦しみを思い泣く場合だけは別だ 自分と
他人は一体なので 他人の苦しみに無関心でないのは愛だからだ 愛
は決して他人の苦しみに無関心ではいられないからだ)

○新聞 テレビを見て 1パーセントでも
憤慨恐怖怒り憎しみ悲しみショックを受けるならば
あなたは真の幸福ではない
(↑ただし他人の苦しみを思い泣く場合だけは別だ 自分と他人は一体
なので 他人の苦しみに無関心でないのは愛だからだ 愛は
決して他人の苦しみに無関心ではいられないからだ)
○すべての人を どんな人でも どんな嫌いな人でも
一切見下すことなく心の底から愛せなければ 真の幸福ではない

あなたがたはそのような境地に到達してるだろうか?
そのような境地に到達してないということは
外的状況に左右される幸福ということになる
それは真の意味で 幸福ではない いつその幸福が崩れるか
わからないからである
しかし わたしはあなたがたの幸福感を偽物だというつもりはない
あなたがたの人生観を軽んじるつもりはもうとうない
ただ 真の幸福とは何かを語っただけである

見方を変えたら 考え方を変えたら 楽になったという人も
いるだろう そんな程度では 真の幸福から程遠い
一パーセントでも 外的要因によって
怒り憎しみ軽蔑裁きの心が出るなら あなたがたは真に幸福だとは
言えない
悟りとは 完全なる自我の消滅 だからである

真の幸福は 一パーセントも傷つかない
他人からどんな不快なことをされてもたとえ殺されかかっても
その相手を仏そのものと観れなければ あなたがたは
真の幸福とは言えない

エス大師は 十字架にかかった
その十字架のメッセージはこうだ
あなたがたは身体ではない また 真の悟り(真の覚醒)を得れば
恐怖も痛みも感じない すべての出来事は夢なのだ
十字架などなんでもない そんなものでわたしは破壊されない
これが イエス大師の計画した十字架のメッセージである
エス大師は十字架に対して一パーセントの恐怖も痛みも感じ
なかった 彼の心は楽園そのものであったのである
彼は 自分が身体の外か内にいるかもわからないほどのレベルに
到達してたのである

エス大師の心は愛そのものだったので 迫害して 石を
ぶつける相手に仏を観た そして 投げられる石は
美しい花を投げかけられている という心境までになってるのである
自分に向けて投げられる石 を美しい花々 美しい宝石 美しい何か
だと感じてたのである

あなたがたは幸福だと言う しかし 憎しみを持って石をぶつけくる
相手に対して完全に愛せるだろうか?
恐怖怒りを1パーセントも感じず
その石を 美しい花 美しいダイヤモンド だと観れるような心境
になってるだろうか?
エス大師は 心が真の覚醒さえすればそれも可能だということを
人類に伝えにきたのである
だから あなたがたは真剣にイエス大師の教えを実践して
エスに近づく努力をしたほうがいいだろう
彼の天国メッセージを無駄にしてはいけない

悟りを開いてない人はいつ外的要因に左右されるかわからないので
そういう意味では 不幸である
一パーセントでも怒り憎しみ不快裁きの心 人を見下す心
人を愛せない心があれば 真の幸福ではない

あなたたがたは死んだら天国へいけると思ってるかもしれない
しかし 真の天国は悟りを開かないといけない
事実は 死後は 魂の発達段階のレベルに応じた世界に行くだけで
ある 天国にも上から下までいろいろある
厳しい言い方をするが 悟りを開いてない人も天国に行く人は
たくさんいるが イエス大師や釈迦がいる最高天国に行くことは
できない
人生を楽しむのは結構だ しかし楽しむと同時に 良心に忠実に
なり 自分を厳しく律することも必要だ
苦行をすすめてるだけではない 仏陀の言う バランスの取れた
生活をせよということである
また 人を愛しなさい 親切にするときは思い切り親切にしなさい
瞑想しなさい 世界のために働きなさい 他人の幸福を願いなさい
神とつながるならなんでもしなさい