☆宮島の夕陽

 明日から、出かけるので、いろいろと忙しかった。いずれは、統合された意識になるのだろうが、今は、その前段階の分断された意識の中で融合していくしかないのだろう。何かを信ずることは、素晴らしいと思うが、その「信じる」ということが、「枠」になり、「枷」になり「壁」になっているということを、往々にして、一つのことを信じている人たちは気がつかない。それは、宗教団体のような組織に限らずどんな小さなグループにもあてはまるような気がする。多少なりとも「悟り」ということについて焦点を合わせたり、思索するものにとって、今が、「個」のさとりの時代ではなく、「全体」でひとつの意識、ワンネスを目指しているのだとわかっているだけに、その「壁」を感じることが、たまらなく気になったりもする。

ところで

 おさかなさんの、パソコンは、まだ直らないみたいです。さっき、久しぶりに夕陽をみました〜って、携帯で画像が送られてきてたので載せようとしたけれど、わかんな〜い、ゴメンネ! きっと、読めてませんね・・・

 はぁちゃんは、キネシのセミナーが始まる前に、ロスの日系の老人ホームでボランティアをしてるらしいけれど、キネシも楽しみだけれど、ここに来るための口実だったような気がすると、抜かしておる(笑)せっかく、殊勝な心がけだと褒めてあげたのに、そんな立派じゃないんだと〜「最低」なんだと〜(笑)・・・「してあげる」という感覚ではなくて、遊び感覚で介護もボランティアもやりたいのだそうだ。なんもかんも自分のため、他人のために頑張るなんて気持ちわるいのだそうだ。まぁ、「滅私奉公」が美徳とされたのは、戦前の教育で、実家の母なんて、まさに、その時代の優等生だったことは、娘がよく承知しているのだけれど、その時代の人たちからしたら、今の自分も含めて、世の中全体、自己中に見えるだろうなぁ〜「ワクワク、ドキドキ」に従うことと、自己中・わがままは、紙一重のような気もする。では、その「自己」とは一体何か?それが、究極の解答のテーマでもあり核心の部分でもあるのだが・・・
 15日、良い風が吹くことを心から願っている。一風吹くことはあっても、「嵐」にはなりませんようにと願うばかりである。