ベアテの贈り物

lyra2005-09-28

http://www.pauline.or.jp/osusume/osusume198.html

平和のために、役立つものが必要です。女性が幸福にならなければ、世界は平和になりません。  == ベアテ・シロタ・ゴードン==

ベアテ・シロタ・ゴードン - Wikipedia


GHQ民政局の一員となって来日した6カ国語が堪能の22歳のベアテ日本国憲法の草案委員会のただ一人の女性として人権委員会で種々の項目を列挙、第14条人権と第24条の男女平等が採択された・・・

YCAMの3階、スタジオCにて、自主上映されたこのフィルムは、4月30日から
岩波ホールで封切り、全国で順次上映されたらしい。貴重な記録映画であった。終わったときは、なぜか、一筋の涙がこぼれてくるのを禁じえなくて・・・

『1945年のクリスマス』という彼女の自伝も、帰るとき、受付で購入。

また、2階のスクリーンでは、ジャン=バティスト・アンドレhttp://www2.ycam.jp/kakusaretamen/が、2年半ぶりに来日するらしく、フランス語のトークが流れていた。日本語の字幕を目で追いながら、息子のことを思い浮かべた。

(写真は、モンマルトルのサクレ・クール寺院

この日記を書いた後、日頃、書き込みさせていただいているBBSでの投稿にも、少し、感想を書いたので転載。(レス投稿への一部から)

=終わったときは、なぜか、一筋の涙がこぼれてくるのを禁じえなかったのですが、気持ちとしてはちょっと複雑ですね。
 20代の頃は、日本国憲法は、GHQに押し付けられてできたものだという認識でいましたから、改憲論を唱える知識人の意見に賛同していましたから・・・(といっても、昭和30年代の戦後生まれなので、戦前・戦中のことは知りませんが・・・)

 自主上映の映画そのものは、イデオロギッシュなものでもなく、女性の参政権を獲得するまでの市川房枝女史の苦労の道のりや、国連難民高等弁務官緒方貞子さんの御活躍、なども映像で見れましたし、戦前に山田耕作さんの強い願いで日本に来日されて、多くの弟子を養成されたピアニスト、レオ・シロタの一家の記録としても貴重な映像だと思いました。レオ・シロタ演奏のストラヴィンスキーペトルーシュカの幻の演奏のレコードが、岩手県紫波町に保存されていて、それを、ベアテさんが、訪ねていくシーンで始まり、そのレコードの鑑賞会と、彼女の日本語による憲法草案に関しての回想講演という形で始まる記録映画でした。

 彼女は、日本国憲法の作者は、「歴史の叡知」であると語りましたが、わたし自身は、GHQによって占領政策という形で作られたのではあるけれど、結果として、世にも稀なる理想的な「平和憲法」が出来上がり、そうであるならば、今度は、自らの意志で守っていこうではないかという変化をおこしているのが、最近の心境の変化とでもいいますか・・・=


 今回、この上映を見たことで、憲法草案時の様子が少しわかった。2週間たらずで、GHQによって作成されたと聞いていたが、実際、ベアテさんの仕事は、そのメンバーの中でも速度が速く、一週間で草案の原稿を作られたようだ。それは、むしろ、彼女の優秀さ(流暢な日本語とタイム誌で培われたリサーチャーとしての能力)を物語っているようだ。
 彼女は、現在、アメリカの市民権をもちニューヨーク在住とはいえ、ロシア系ユダヤ人の父母の血の流れをもち、ウィーンで生まれ、5歳〜16歳まで、日本で育っているので、心情的には日本人のようでもあるところが、救いだと感じた。彼女が、ユダヤの血を引くことで人種差別を経験し、抑圧された人の痛みの分かる人だったということは、敗戦国の日本にとっては、有難い存在であり、異なる文化をもつ民族の架け橋となりえたのではないだろうか?当時、封建制度の犠牲となっていた女性の地位の向上への願いが、純粋に伝わってきた。しかし、日本で男女共同参画を推進している人たちの真の狙いについては、本当をいうと、疑問も残る。この辺は、もっと、勉強してみないといけない分野でもあるが・・・