手放すこと

雪の舞う寒い一日だった。13日〜17日まで、ひびきの森さんで展示されている「うさとの服」の展示会に行きたいと思いつつ、とうとう行けなかった。実家の母と電話で話しをして父の具合を聞いたり、そのあと、教材注文のことで問い合わせたをしたことで、センター長のMさんと今後の教室運営のことでお話できる機会がもてたことは、予想外の収穫だった。今の状況や心境をありのままに話すことで、こころの重荷が、半分くらいに軽減された。Mさんのお人柄だとか青春時代の海外経験など見かけによらずの苦労人だということなど、時折、研修などでお逢いして感じてはいたけれど、素晴らしい器の方だなぁと思った。こころの触れ合う瞬間とでもいうのか、スムーズな糸口が見えて嬉しかった。地区担当のKさんは、いつもは親切で良い方なのに今回の件に関しては、物分りの良い口調ではなかったのでどうしようかと一時は案じていたのだが、現在、体調不良で出勤停止ということだった。なので窓口を介在せずに直接に所長と話す機会がもてたことは、予想外のとても、有難いチャンス!だった。決心したら、なにもかも、そのように回っていくのだということも身をもって実感した。
 『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』という本があって、

ある人たちにとっては「手放す」ことは、試練に対する「敗北」、「あきらめ」、「挫折」、「無気力」などを意味し、消極的な態度に聞こえるかもしれません。しかし、ほんとうの「手放すこと」は、まったく別のものです。なにもせずに、受身の姿勢で、自分がおかれた状況に耐えることではないのです。計画を立て、積極的に行動を起こすことを、放棄するわけでもありません。

「手放すこと」をおこなうのは、内面だけでいいのです。なんらかの行動をとって、状況を変えてはいけないという意味ではありません。しかも、手放すときに受け入れなければならないのは、一切合切の状況ではなく、「いま、この瞬間」という、ごく限られた部分だけでいいのです。

とあった。

自分の中の心の声に忠実になり決意することでエネルギーの流れが変化してくるような気がする。新しい出発のためのリセットを感謝の気持ちでもって行うということが大切なのではないかという気がしている。今まで14年間も歩んできた道への後ろ髪がひかれるような愛着の気持ちと、一旦、終了することで手放し新たなエネルギーに出逢う可能性との狭間の中で、保護者の方々の御了解を得るためにお話したりとか継続生の受け入れ先の教室への打診など、できる範囲内で少しずつ動きつつも立ち止まったり躊躇していたのだけれど 期せずして、M所長とお話する機会がもてて吹っ切れた。それにしても、精神世界の人でもないM所長を相手に、エネルギーという言葉を何度も出して話したような気がする。それなりに通じたのか「先生さえその気持ちになられたら、そのときは、いつでもウェルカムですから」と暖かいお言葉だった。こんなに穏やかに話を聞いて理解していただけたことは、過去の先輩の先生方のお話を伺っているだけに有難いことだと思う。