一日バスツアー

lyra2005-05-21


きょうも好いお天気に恵まれて楽しい一日だった。湖水ホールに集合ということだったが一昨日、道を間違えたのを話していたので、夫が連れていってくれることになったのはいいのだが日傘を自分の車の方に入れておいたのは、まずかった。9:00に出発、ペアを組むことになっていたMさんを待っていたけれど見あたらなくて、東京新聞の漫画家の奥さんに「一緒に座りましょうか?」と声をかけられて、座席につくと、後部座席の方に彼女がいて、あとで、話すことになった。漫画家夫人は、女性市会議員であることがわかる。大らかで気さくなお人柄で話してみると共通の知人もたくさんで話題に不自由はしなかった。彼女は、京都の丹後地方から、東京の大学で知り合ったご主人の故郷に嫁いできているのだった。バスの中では、ガイド役のTさんが英語で説明されたことを、ラトビア語で、あちらのED(グループの代表)が、通訳するという手順で進んでいった。驚いたのは、「百万本の薔薇」の真実。ラトビアが元歌なのだが、それが、ロシアに伝わって、加藤登紀子さんの歌われてる日本の歌詞の内容は、ロシアの方に近いものだということだった。元歌の方の歌詞は、母親が、小さな娘に「わたしは、貴女に命を与えることはできるけれど、幸せまでもは、与えることができない。だから、自分の幸せは自分でつかんでいくのよ」というような悲しい響きのもので、それは、ロシアやドイツといった国から、何度も占領されてきた民族の歴史を背負っていて歌いたくないのだということだった。高速のサービスエリアで休憩すると、そこからも何人か合流。ガイドもチェンジする。終始笑顔で柔和なTさんとうってかわって、Aさんは、ちょっと、ふてくされた表情で「I'm tired.Please listen to me carefully. Please be quiet ! I don't want to speak many times.」という命令調で始まったので耳を疑っていたが、その「お疲れ」の理由は自由行動のときになって納得できた。彼女のガイドは、江戸時代の身分制度の説明から明治維新への流れを辿り広島に落とされた原爆の悲惨さを伝えるというものだったが、それはそれで良かった。流暢なお2人のガイドに導かれて、予定よりも早く、宮島口のフェリー乗り場に到着する。

 バスの中で、配られたお弁当をもってフェリーに乗り、宮島へと向かう。そこからが、まぁ、いろいろあって、今回、Mさんと組んでデイ・ホストすることになったのは、どうやら、会員に混じって飛び込んできた3人のうちの2人であることが判明。ピクニックのときから、様子がおかしいと思っていた「いちゃいちゃカップル」が、その2人だった。明らかに異質のムードなのだ。だれからともなく「バカップル」と呼ぶことになった(笑)お弁当もじゃまみたいだったし、さっさと、別行動で大鳥居の方に歩いていってしまう様子なので、2人で自由にさせてあげましょうよ・・・ということで、懇切丁寧について廻るのは、やめにして、女性のMさんと、もうひとりの男性のMさんと3人で一緒にお弁当をいただく。前回のドイツの受け入れのときに入ってこられたのだが、お2人は、日独協会の会員ということだった。お弁当を広げていたら、鹿が寄ってきてバッグの中にも顔を突っ込んできて困ってしまう。男性のMさんが、その都度、追い払ってくださったので、なんとか、お弁当をとられずにすんだ。こないだ、地震の被害にあった能舞台は修復が済んでいるかに見えた。13時に結婚式があるということだったので神前結婚される白無垢姿に袴姿の新郎新婦も皆で見ることができた。そのあと、千畳閣という豊臣秀吉が建立した大経堂に石段を登っていくと、そこに行きのバスでお隣の席だったHさんと、通訳ガイドのAさんたちがすでにおられて見晴らしの良い場所でお弁当を広げられたらしい。「今、Aさんのグチを聞いていたのよ」とHさん。Aさんのところには、音楽プロデューサーと彫刻家の2人が滞在されているらしいのだが、それぞれが、問題児の様子。一人は、バカップルのお連れで、はみ出し3人組みの一人であることがわかる。もう一人は、彫刻家なのだが、写真家を目指す息子に頼まれて日本製のカメラ(ニコンの最新型で、Sがついてないとダメなのだそうだが、カメラのことはよくわからなかった)を、お土産に買って帰りたいのだが、お金がないので、ラトヴィアからもってきたブロンズの彫刻を売りたがっているのだそうだが、買い手もみつからず、だからといって、高級カメラをあきらめる様子もなく、夜になると、嘆くのだそうだ(笑)Aさんは、変な2人の泊り客のお陰で疲れきっておられる様子だった。

 その千畳閣を下っていくと途中の石畳には、鹿がノンビリと座り込んでいた。プーンとお菓子の良い香りがして、誘い込まれるように「紅葉饅頭」のお店に入り、お土産を買う。そこでも、できたての熱々をさっそく試食することにして、お店の中にあるテーブルにつき椅子にすわって冷たいお茶をいただきながら、3人で休憩。M(女性)さんは高校の教師をされているのだが、学生時代にRクラブからフランスとドイツに留学されていた。Mさん(男性)は、今は所長として保険所にお勤めなのだが、以前は脳外科の医師だったらしい。4人の子供さんがいて家族6人でよく旅行されるらしく、この冬は、フィンランドに行って来られたらしく、今度は、高校生のお嬢さんのホームステイの行きかえりの付き添いでイギリスに行くといわれていた。これも、良い口実ね(笑)

 もちろん、合間では、いろんな会話はしたけれど今回のツアーは、ラトヴィアの人と交流するというよりも、日本人との親睦を深めることで楽しんだ。まぁ、他の方もおっしゃっていたけれど、彼らは、英語があんまり得意ではなくてむしろ、ロシア語の方が通じるようだ。電子辞書も「ロシア語ー英語」はあっても、ラトビア語の辞書はないみたいで、頭の中にあるのだということだった。フェリーに乗ってまた宮島口に戻る。行きは会えなかったけれど、帰りは、桟橋を渡ると「おさかな君」に逢えた!白いセーラー服姿の「おさかな君」は、とっても格好良かった!というか、可愛かった(笑)です。手には、緑色の如雨露をもっていて、お花に水をやると抜け出されたとか(笑)パソコンは、修復したみたいだけど、URLが、飛んでるみたいだった。また、コメント、書いてくださいね♪

 宮島のあとは、平和記念公園へ。ユネスコの「世界遺産」に登録された「原爆ドーム」の前で記念撮影。資料館の中の展示物のことを思うと、気合をいれて見ないといけないので、Mさん(女性)が、コーヒーでも飲んでからにするといわれたので、付き合う。彼女は、「暑いですねぇ〜」といいながら、汗をタラタラ流しながら、注文したアイスコーヒーに、後からアイスクリームをのせてもらってコーヒーフロート。そうして、2人で気合をいれて、1階から順次、記念館を見てまわるのだが、2階の方になって実物の遺品などを目にすると、感じやすい体質なのかどうかはわからないけれど、急に体中に寒気がしてきて、彼女に断って、先にでる。神戸出身の彼女は、宮島も平和記念館もはじめてとのことだったが、もっと、資料とかが多いかと思っていたとのことだった。何年か前に、やはり、FFのバスツアーで、フランス人の樹里庵に引率したとき以来なのだが、何度きても、heavyというか、seriousな場所には変わりがなく、公園内の記念碑(公式名:広島平和都市記念碑)に刻まれた「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」という文字は、誰が「繰り返さない」ことを誓わねばならないのだろう?と首を傾げたくなってしまう。原爆の子の像、年中たくさんの千羽鶴がささげられることから「千羽鶴の塔」とも呼ばれているが、金色の折鶴をささげもつ少女のブロンズ像は、ガイアシンフォニーにもでてきた「サダコ」さんだ。

 平和記念公園のあとは、また、高速バスに乗り、途中でサービスエリアで軽く夕食。ここでも、予定時間よりも早く着く。帰りのバスは、また、柔和な笑顔のTさんのガイド。彼女は行きのバスでも日本は中国の文化の影響を受けていることを話されていたけれど、帰りにも、漢字を白い画用紙に書きながら、年齢の節目節目のお祝いの説明をされていてわかりやすかった。また、日本の干支がラトビアにも存在するというのは、興味深かった。ラトビアの通訳さんは、ゾーデアックといっていたが、ゾーデアックは黄色12宮で西洋占星術を表すのかと思っていたのだけれど、干支の動物と通じるのが、不思議だった。

 予定よりも一時間早くについて、バスの中から夫に連絡したつもりが、ラトビアの方々の歌声が大きくて聞こえなかったみたい。イタズラ電話と間違えたらしい。それで、Kさんが送ってくださるというので、車の助手席に乗り驚いた。リールーとご主人が後部の座席に座っておられたのだ。おお!とうとう、話せる。といっても、ご主人を介してなのだが・・・
陽気なお2人は、そのうち、仲良く手をつなぎながら、歌を歌ってくださった。
 明日の夜は、少し、早めのフェアウェルパーティー
 Thank you very much! See you next night.