また、逢えますように!

 萩にある窯元で夏のバーゲンがあるということで、かつての乙女達は、期待に胸を膨らませ、大雨の中、一路、萩へと向かう。途中で、萩が実家のMさんと待ち合わせて(元網元をされていたというお宅をお食事どころとして開放されている)築50年という民家で昼食をいただく。予約した2階のお部屋は、回廊があって、お庭の見晴らしもよく、床の間には、大きな掛け軸と、吉田松陰先生と金子重之輔のミニュチアの像が飾られていた。ご主人らしい方の説明では、実物の像を設計した人による作品なのでサイズが違うだけで同じデザインということだった。
 大屋窯は、来客中とのことで、できるだけ遅くにいらしてくださいということらしかったけれど、帰るときのことを考えると、暗くなってからの雨の中の運転は危険なので、皆で、早めにいっちゃえ〜ということになった。はじめて訪れる大屋窯。夫の友人にも、萩焼の陶芸作家がおられるけれど、作風はちょっと、違う感じがする。最初、作品を拝見して、気にいった作品を選んでおいてから、お住まいの方へと石段を登っていくと、そこは、京都のお寺のような風情があって、以前は、本当にお寺のあった場所に邸宅を建てられたということをきいた。非常に日本的なのだけれど、照明や家具などお宅全体が重厚な雰囲気で、生活=芸術という感じ。その床の間を背に一人の外国人の男性がすわっている。日本人のコーディネーターらしい女性と話すと、EIL(http://www5a.biglobe.ne.jp/~eil/)という10名くらいのグループで、今回は、東京、京都、山口と滞在されていて、きょうは、雨の秋芳洞から、この窯にきて、作陶とかの日本文化体験中らしかった。大屋窯の奥様は、毎年恒例の、留学生がきてると玄関先で話されていたけれど、どうやら、学生さんではなくて、先生達のグループのようだった。なんのきっかけからだったろう?ドイツ人かな?と最初は、思ったら、アメリカ人だったのだが、その外国人の男性との会話がはじまる。英語だったり、日本語だったり、とにかく、話した。(不思議なことに、名前もきかなくて)東海岸ペンシルバニア州から来ていることを知る。日本語が上手なのは、7年間、仙台でAETとして英語を教えていたことがあり、日本ははじめてではないということ。今は、また、アメリカにもどり英語教育の勉強中だということがわかる。何故だろうか?ふいにインスピレーションがきて、「座禅に興味は?」ときいたら別の瞑想法をしているということだったので、さらに、きいたら、ヴィパサナー(http://www.jp.dhamma.org/ns/intro.html)という言葉がかえってきた。どこかで、聞いたことがあるような?え〜と、その指導者は?とさらにきくとゴエンカと返ってくる。思い出した!!! 何年か前に、 文部省(現文部科学省)の主導で小学生のこどもたちに英語を学ばせるということで、放課後に、市民センターや学童保育の機関を通じてモデルケース的に全国でいくつかの地域が選ばれて、地域に在住のネィティブスピーカーのゲストを招いてティーティーチングをしたときに、出逢った、イギリス人の医学部の学生さんが、その瞑想をやっていて、紹介されたことがあったのだった。「You should!」と今、目の前にいる彼がいう。あとで奥様に伺ってわかったのだが、われわれが到着する前まで、雨の中、屋外のひさしの下で彼は瞑想をしていたらしい。その他には、何を話しただろうか? 「ファーストコンタクト」というタイトルの萩焼のパンフレットが置いてあったので、そのタイトルから、映画「宇宙戦争」の話もしたっけ。「オリジナル,1970年代のオリジナルの方がいいと思う」と彼はいった。そのうち、「遠慮しないで、しばらくの間、横になるといいわよ」という、お世話をされる女性の声がして、その人は、移っていく。
 スイカをいただいたり、お茶をいただいたりしながら、歓談していると、いつのまにか、さっきの彼が、リュック姿で立っていた。「スイカをどうぞ」「もう、たべました。ありがとう!」それから、にこやかな笑顔で 握手の手を差し出された。「また、逢えますように」と日本語でご挨拶をされたので「どうぞ、楽しい旅を続けてくださいね」とお別れの言葉をいって握手を返す。
「また、逢えますように!」というのは、とても、いい響きで嬉しかった。名前も知らないし、一期一会の出逢い。See you again!を日本語でいうと、あんな美しい響きのご挨拶になるのね〜と、思っていた。でも、ただのご挨拶だろうと思っていた。
 お玄関のところで、以前、一度だけ、お逢いしたことのある日本人の女性(みんなは、その服装からインド人と思っていたとあとでわかった(笑))と、話していると、さっき、ご挨拶をしたばかりの人が、「何かお手伝いできたら・・・」と、名刺を出された。
ちょっと、驚いた。「I'm・・・」と、はじめて、名前を告げると、「・・・さん」と繰り返しているようだった。
 彼は、ロバートさんというお名前で修士課程の学生だった。といっても、社会人としての経験を経たあとの学生さんだから、年齢はわからないけれど、とても、謙虚な物腰の日本語を話される。雰囲気全体が、スピリチュアルで透明な感じだった。「また、逢えますように」は、本気だったのだろうか? みんなのいるテーブルにもどって、しばらく、その名刺をぼんやりと眺めていた。逢いたいと思ったら、逢えるのだろうか?こちらからも、連絡先のわかる名刺をさしあげたら良かったのだろうか?と一瞬思いながら、そのまま、お別れしてしまった。ちょっと、残念! 人と人の出逢いって、偶然ではないとしたら、きょうの予期せぬ出逢いは、また、どこかでつながるのだろうか?
「また、逢えますように!」といわれた日本語の響きが、いつまでも、こだましている。