イン・ラケチ!

1996年に小学館から出版されて絶版状態だった『時空のサーファー』が、復刊ドットコムというシステムのおかげで、マヤの預言が伝える2012年(2013年)にあと8年を残す、2005年の7月26日(13の月の暦の新年)に復刊。きょうの夕方、手元に届いた。丁度、教室の子供達がいるときだったので、意識が外に向いていなかったので、玄関でピンポーン!と宅配の届いた知らせがあったのにも気がつかなかった。「ピンポーン!って聞こえたよ」と子供たち・・・「そう?聞こえなかったけど、何だろう?待っててね」と行ってみると、見慣れた顔の宅配の人。事情を察してか、印鑑もサインもなしに、本を置いていってくださった。絶版ということで、県内の図書館から、市立図書館を通じて2回も貸し出しをしてもらい、読んだことのある本だったが、復刻にともない、すっかり、装丁も変化していて、かっこよく変身しているのに驚いた。Tales of Interdimensional Travel というサブタイトルまでついて、挿絵は、アラビアンナイトがサーフィンしてるような?Surfers of the ZUVUYA 。「スユアの波」にライド・オン!ときた。かなり、ナウくて、いけてる感じ(笑)
 ところで、本といえば、先日、日本山妙法寺の上人様たちに、紹介していただいたマハトマ・ガンジーのお弟子さんで創始者の故藤井日達上人様の『一閻浮提』という本が入手できる連絡先の名刺をいただいていたので、何回か電話をかけたのだが、そのご本人のかわりにお留守番のインド人と何回か会話することになった。一回目のときは、奇妙な発音の言語で日本人ではないのに気がついて、聞いたら「アイム・インディアン」という。咄嗟にアメリカ・インディアンを思い浮かべたのは迂闊だった。全く、聞きにくい英語なので、また、掛け直すことを伝えて、翌日の朝、掛けなおすと、また、その声。今度は、2回目なので、こちらの方も少し余裕がでてきて、ようやく、ヘンななまりのある英語をしっかりと聞こうという気になった。シタール(シタラだったかも)という名前のインド人で、ダージリンというインドでも山の方の涼しい所から、日本にやってきていて、この暑さで参っている様子。2日間、歩いたけれど、もう、暑くて歩けないのでお留守番をしているようだった。2人の上人から紹介された人は、ピース・マーチ(ピス・マチと短く発音するので、ようやく、3回目くらいにわかった)にまだ参加中とのことで、携帯の電話番号を教えてくれたけれど、急ぐこともないので、まだ、連絡はしていない。
 2人のお坊さんたちとの出逢いは偶然とはいえ、強烈にこころに残った。お一人は、このストーン・ウォークが終わると、8月下旬ごろには、カルカッタのお寺に赴任が決まっているとのこと。もう、お一人の方は、ニューヨークのお寺に30年近くおられたらしい。最初に出逢った方だ。東京生まれの東京育ちで、学生運動華やかなりし時代をすごされたとのこと。学生時代は、土木建築を専攻されていたらしいが、出家されて30年で、もう一人の方の方が、年齢は上のようだが、家族があったので、なかなか、出家に時間がかかり、3年前に出家したのだといわれた。市役所前でのお昼の休憩時間に話しかけたのが、そもそものきっかけだったのだが、9・11に関する、ビデオや、CDロム、冊子・資料などを手渡された。関連の本が、すでに出版されていることを伝えると興味を示されたので宿泊先に届けに行ったところ、もう、一人の方にも出逢い、インドのこと、悟りのこと、なんやかやと、話はつきず、お二方の、黄色い袈裟の奥の人間性・宗教を超えた神聖さに触れて、まるで、旧知の友のように暖かい交流ができた。「以前、何回かお逢いしましたね」と、最初、言われたときに、「いえ、初めてですけれど」と、答えたのだが、あれは、どうも、今生の出逢いのことだけを意味していなかったのだろう。この方は、お若いころは、世界放浪の旅をされていたらしいが、どこかにも、そんなヤツがいたっけとおかしかった。
 イギリスが、塩に税金をかけるのに反対して「塩の行進」をしたガンジーが亡くなって75年を記念して、インドで「塩の行進」の計画もあるらしい。塩といえば、麻。2002年、8月、ヘンプカープロジェクト(http://www.hemp.jp/hempcar/what/hc_what_set.html)の地元での引き受けのお世話役をさせていただいたのがきっかけで、星からの転生を思い出させてくれる魂の出逢いをした人がいた。パカル・ヴォタン、碑銘の神殿。マヤの記憶。
 イン・ラケチ!ありがとう!