大和魂

27日、土曜日、家族で実家に帰る。父が杖をついている姿を初めてみた。だけれど、渡仏する孫のために和歌を詠んでくれていて、孫へのはなむけの祝辞を述べてくれたのは有難かった。その和歌の中には、「大和魂」という言葉が入っていた。これには、理由があって、かねてより、息子の希望で、「大和魂」という字を書いてほしい、それをフランスにもっていきたいと頼んでいたからなのだが、その代わりに和歌の中に入ったのだった。床の間を背に上座の正席に座っている息子から、両親へのお礼の言葉が述べられて、時には、こういう改まった場面もいいかしら?と思った。父は、足が余程、辛いのだろう。途中で退席してしまうが、それを追いかけて、長男は、書斎まで行って話す。彼にとったら、どういう関係になるのかな?やはり、Rクラブから、イギリスに留学していた父の妹の娘、つまり、従妹の話になる。そのときの、写真やお手紙を母が大切にしまっておいたので、なつかしかったが、今は、東京の大学で教鞭をとっている。もっと、いたかったけれど、下着やジャケットなど買い物もあるし、早めに帰る。義弟親子来宅。
 I上人から、留守電が入っていたので、夜、電話して、いろんなことを話す。魂の共鳴の感じられる出逢いが嬉しい。
 
28日、息子を新幹線の駅のホームまで送る。車を運転しながら、この子が生まれたときの瞬間の天啓にも似たインスピレーションを思い出していた。2人の息子達、それぞれに、メッセージがあった。その話を聞かせていたら思わず涙があふれてきてしまった。母親って仕方のない生き物である。昨夜も、ふいに涙がでてきてしまい、泣いていた。涙というのは、悲しいだけじゃなくて、感情が極まったときにでてくるものなのだろう。

夫は、実家で、義母のお友達の俳句の会の指導。
夫が帰宅して、夕方と夜に来客。

なんだか、めまぐるしく、いろんなことがあって、忘れてしまいそうだ。