聖なる愛を求めて

 地上の愛の物語レヴェルの映画を観たあとでの、お口直しに、こういう本があったのを思い出した。筆者は、ユニティ教会の牧師であり、全米でワークショップや講演活動を行う。過去に2度の離婚を経験し、『A Course In Miracles』(『奇跡についてのコース』)の生徒でもあり、その原理の実践者でもあり、様々な実践ワークが紹介されています。原題は『A Course in Love』

聖なる愛を求めて―魂のパートナーシップ

聖なる愛を求めて―魂のパートナーシップ

 
私の心からのメッセージを分かち合わせてください。私たちが「叡知」を共有しているあなたのこころのその場所に、このメッセージが届きますように。

・・・・スーフィー教徒の人たちは、恋は落ちていくものではなく、魂が上昇していくものと考えます。この上昇において、愛する者同士の結びつきはかぎりなく強いものになるため、そこに存在する愛の輝きによって、愛を妨害したり制限したりする日常的な事柄は存在しないも同然となり、いともやすやすと乗り越えることができるというのです。スーフィー教が語る合一の体験は、西洋の文学や伝統においてはあまり語られることのないものです。 スーフィーの伝統では、「聖なる魂」は、キリスト教形而上学でいうキリストと翻訳できるかもしれません。イエス・キリストその人という意味ではなく、イエスがもっていたと同じ神聖な種ということです。意識が高く上昇して非常な高みにまで到達したとき、あなたの「親愛なる魂」との聖なる合一が可能になります。「親愛なる魂」と出会ったとき、愛は可能性の領域を出て、確固たる結びつきへと変わります。それは驚くべきものであると同時に、魅力に満ちた神聖な結びつきです。「親愛なる魂」があなたの意識にもたらしてくれるのは、現在のありようではなく、可能性としてありうるものです。「親愛なる魂」は、あなたの内にある神の部分で、ずっとそこに存在しながら、あなたが目覚め、それを認め、上昇して聖なる抱擁をするのをじっと辛抱強く待っているのです。
 ずっとそこにあった「神聖なる魂」の発見は、この世界における出会いではありません。この合一がどれほど信じがたいものかを理解するには、自分で体験してみるしかないでしょう。「親愛なる魂」は、あなたの中にいます。これまでも、ずっとあなたと一緒にいました。これからもあなたのもとを去ることはなく、栄光に満ちたあなたがだれであるのかを知っており、あなたの内なる本質が花開くよう助けそれを喜んでくれる、そういう存在なのです。
 あなたの「親愛なる魂」は、心の神秘を教えるべくあなたを待っています。「親愛なる魂」と接触をはかるには、心の焦点をネガティブなジッカーから外して、より高い次元に意識を向けなければなりません。(212p−214p より抜粋)