HUMAN SCHOOL

 独立法人化した地元の大学のエクステンションセンターが運営している公開講座、ヒューマンスクールの今年度のテーマは、「宗教と文化」、その第一回目の講座が開講。受講生は、50名以上は、いただろうか?2階の24番教室は、一杯だった。今回は、概論だろうと期待していなかったけれど、世界三大宗教キリスト教イスラム教、仏教)の哲学的アプローチというか、宗教哲学の立場から、とらえていくということで、「宗教を遠心力と求心力のバランスでとらえる」、根本的な理解のためには、「内在的超越」の姿勢が必要というお話は、とても、わかりやすかった。現代、イスラム文化を無視できない状況にあり、テロ事件のみでなく生活の面でも日本人に影響がでてきているという見方も、なるほど、世相を映し出しているとは思ったが、イスラム教には、もう、随分、以前、御近所に住んでおられたバハイのパイオニアアメリカ人の一家との出逢いで、間接的なカルチャーショックの洗礼を受けていた。
 受講生は、女性陣が圧倒的に多かったけれど、質疑応答も活発で、さすがに向学心旺盛な皆さんだった。質問は、例えば、政教分離に関しての講師の見解を問いただすもの、また、宗教がなくても生きていけるか?という率直な質問や、他にも宗教はあると思うが今回、取り上げられたものは、教典のあるものだけなのか?とか、親から先祖を大切にしないとバチがあたるといわれて育ったが、キリスト教イスラム教にもそのような教えはあるのか?ハリケーンなどは、そのバチのあたった結果ではないか・・・など、女性の質問は、ほんとに具体的かつ率直であった。あと、男性で建築に関係した仕事をされている方による宗教建築に関する質問や、宗教画に関するもの・・・とにかく、皆さん、熱心で生活に密着した中からの質問が多かった。
 今回、担当講師(教授)以外にも、全回のそれぞれの講師も参加されていて、退官されたサビエルセンターのプロット神父様や、また、イスラム教徒の講師、クリスチャンの講師、仏教徒の講師が、勢ぞろいだった。キリスト教と文化のところで、「イエス・キリストの十字架上の死」が、核になっているという説明に関しては、次回の講師(助教授)が、死と復活ではないかと、突っ込まれ、「わたしは、仏教徒なもので、理解が浅いかもしれないですが、しかし、弟子達の残した聖書の記述には、キリストの死がメインで、復活にまで言及しているのは、わずかでして・・・」と、言われると「それは、西方キリスト教会の方でしょう」と・・・キリスト教の専門らしい次回の講師。次回、突っ込んだ質問できそうだな。楽しみ・・・
 聖書のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの記録の元になるQ資料(イエス・キリストの言行録)Q資料 - Wikipediaが、あったのではないかというのは、初耳だった。旧約と新約についての解釈も旧約が、神と人との犠牲と恩恵というギブ&テイクで成り立っているのに対して、新約は、イエスの犠牲という神からの一方的な愛の証という解釈だった。その神の愛の証としてイエスの犠牲を受け入れるのかどうか、そこに信仰の問題がかかってくる。ということらしいが・・・この講師は、真宗門徒として育たれたということで、おそらく、仏教の方がお詳しいとお見受けした。しかし、人間がどこから生まれて どこに行くのかという根本問題を大学の講座で取り上げられたのは、(依然としてある程度のタブーというかフィルターは、掛けられているようではあるけれど、)斬新な試みだと思う。戦後の小・中・高レヴェルでの宗教の教育がない、(子供達は)何をたよりに生きていったらいいのか? そう、言われた。そうだなぁ、ここにも、戦後の問題があると思った。

しかし、人類が覚醒したら、もう、宗教はいらなくなると思う。そういうパラダイムシフトのことまでは、アカデミズムの中では語られないのだろうなぁ〜これまで、何故、宗教が必要であったのか? そのことへの根源的な問いを深めたい。それが語られるためには、
メタ・ヒューマンスクールが開講されないといけなくなるなぁ〜
ETソウルスクールでもいいんだけれど・・・わぁ〜ぶっとんできそうなので、この辺で♪