マザコンはどっちだ?

lyra2005-10-13

 家の中にいるとき、携帯電話を置いている出窓の一角から着信音が鳴る。誰かからメールかな?と思いつつ、夕ご飯のときだったのでそのままにしていた。しばらくしてから、光透波の字分けのことでわからないことがあったので講師に質問しようと思って携帯を見たら、フランスからだった。そういえば、昨夜、スカイプの時間を知らせるのに必要だというので携帯のアドレスを教えたのだった。何事だろう?母親にいってくるときは、困ったときに相場が決まっているので覚悟していたら、ATMからカードが使えないので、そっちで確認してほしいとのことだった。そんなこと、現地で調べたらいいのに・・・と思いつつ、彼の現在の所持金を聞くとそうもいってられない。銀行の残高はまだ充分に残っているとのこと。そのうち、夫が、銀行の連絡先や口座番号を控えた紙などをもってきたので、フリーダイアルでアクセスできる日本の24時間対応の番号にかけたら、オペレーターがでてきて事情を説明すると、カード会社に問い合わせるようにとのことだが、営業時間は、朝9時ー夕方5時までなので、どうしようもない。たまたま、現地のATMの機械が不調という場合もあるからとアドバイスして、何箇所か試したらしいけれど、すべて、シャット・アウトらしく、これまで、2度、引き落とししただけで、利用リミットの限度額は超えていないと首を傾げているようだ。もしかしたら、時差の関係で時間帯があるんじゃないの?というあたりしか、今のところは、わからない。

 それにしても、困ったときには、いつも母親で、言い合いするのも母親で、嬉しいようなおかしいような・・・この夏だったか、「お父さんって、典型的なマザコンだよね?でも、ボクは違うからね」と急にそんな話題を振ってきたので、びっくりして、夫にあとで伝えたらあえて否定もせず、ニヤニヤとしていたような気がしたんだけれど、「江戸のカタキは長崎で」じゃないけれど、夫曰く、「どっちが、マザコンなんだ?(笑)」と、少々、おもしろくないのもあってか、「あいつ、日本にいるときよりも、連絡が小まめだなぁ〜」とボヤいている。「いっそのこと、いけば?(笑)」と言われたけれど、実は、今朝、夢の中で、夫から渡仏用の旅費を手渡されていたのだった。そういえば、話しそびれたなぁ〜・・・

 ところで、この最近というか、夢をみた10日以降、光透波の字分けに目覚めている。きょうは、夕方の7時から島根県の日貫というところでの秋祭り行事で、「大元神楽」のご神事が行われるということで、地元で龍神道の研究をされている郷土史家の方から、御案内のお電話をいただいていたのだけれど、普通の曜日なので、通常の教室もあるしで出かけることができなかったので、その代わり、字分けをしてみた。それで、わからないことがあったので、講師の八田さんに質問した。いつも、懇切丁寧に答えてくださって有難いことだ。きのうは、また、どんちゃん♪とも話せた。最後に「気楽にね♪」と言ってくださって、とっても暖かい感じで嬉しかった。

 ふと、気がついたことだけれど、どんちゃん♪にも八田さんにも共通していることがいくつかある。その中の一つの要素として良き家庭人でもあるということだ。厳密にいうと、どんちゃんの場合は、全国(あるいは海外)行脚の旅で家を空けてることが多かったりとか、八田さんも、光透波の講師として飛び回られたりとかされているので、奥様の立場からしたら、いろいろとおありだろうけれど、家庭や家族をもたれているということからにじみ出てくる大きな愛というか安心感のようなものを感じることができる。これは、男性に限らず、女性でもそうかもしれない。家庭や家族は、外に向かって飛び立とうとするときの大きな足かせのように感じてきていた時期もあったけれど、その束縛の中で、つまり、逃げることのできないという絶体絶命の鳥篭の中でどれほど大きな魂の成長の糧をこれまでに与えられてきたことだろう! 鳥篭などと表現したら、家の場合は、放し飼いだよと夫に笑われてしまいそうだけれど、それでも、家庭は平和で安全ではあるけれど、ある意味で自我をそぎ落とすための修行の場であったなぁ〜周囲の人から「お嬢さん!」と呼ばれて、何の疑問も抱かずにごく普通にその言葉を受け取っていることができた、極楽トンボだった娘時代を振り返ってそう思う。何もかもが学びでそして遊びでもある。八田さんは、「小田野先生は、よく学び、よく遊べじゃないのよ。よく遊び、よく遊べなのよっておっしゃってましたよ」といわれたけれど、何もかもをそう受け取れると感謝以外なにもないのだなぁと思う。
 この世は、神の遊戯(リーラ)
 神遊び、神仕組み
 天網に回帰する