うららかな秋の午後

 昨日はちょぴり感傷的な気分になってしまっていたけれど、きょうは一日中、幸せな気持ちの中にいた。
 お散歩、2日目は、いつもは、車で通りがかったときに出す、ポストの所まで歩いて次男宛に「冊子小包み」を投函。下校途中の小学生の群れ。目の合った5年生か6年生くらいの男の子が「こんにちは!」と御挨拶してくれたので「こんにちは!」と返す。全然、知らない子なんだけれど、嬉しかった。いい子だな!金木犀の香りが漂ってきて、秋を感じる。きょうも、また、昨日の「三段池」を訪れた。今度は、期待しないで、そのままの風景をみたら、なんていうこともなく、ありのままに見えた。昨日は、過去の思い出を投影しすぎていたのかもしれない。自然はそのまま変わっていないのに・・・自分の内面の投影に酔ってはいけないと覚悟して行ったから、きょうは、大丈夫だった。
 夕方、実家に電話して、孫の様子を報告し、あの子からも手紙を書こうと思うけれど忙しくてなかなか書けない状態なので、もう少し落ち着くまで待ってほしいという伝言を伝えた。電話口に出てきたのは、父だったけれど、だいぶ足が良くなったみたいだ。その分、フランスのことに関しても、まぁ、NHKのニュース解説だな・・・父の中では、労働者が頻繁にストしているフランスは、左翼の国というレッテルで(まぁ、プロレタリアートによる市民革命で王政を廃止したフランス革命の歴史は、そうなるのかなぁ〜)留学しても日本の国が一番いいということを納得するだけで、それを理解することがあの子にとっても大きな成長になるだろうと・・・ああ、また始まったわ・・・わたしが西洋史を専攻したときも、同じことを言っていた・・・でも、あの子は、明治時代の永井荷風のように、おフランスに憧れていったのではなくて、三島由紀夫を辿ったらフランス文学に行き着いたまでなのに・・・それに、文学を愛する血筋はどうみたって、お父さんから来てると思うのに・・・だから、わかるから、やめさせたかったんだろうな・・・それもよくわかる・・・わかるが故に苦しいけれど、それでも突き進まざるを得ないのもカルマなのかもしれない・・・
 ところで、小室直樹の『日本人のための宗教原論』によれば、
「日本人にとって、この難解無比な仏教哲学の最も手頃な解説書は?と問われれば、筆者は三島由紀夫の最後の小説『豊穣の海』4部作を挙げる。仏教の唯識の哲学を補助線にしたこの作品は、三島が日本人に対して遺した最も適切な仏教入門ともいえよう」というくだりがあった。
 これまでの大方の評論家や読者は、『豊穣の海』を輪廻転生の物語と理解している。しかし、最後の最後で、三島は輪廻転生を明確に否定、ここに『豊穣の海』で三島が主題にした唯識が明確に打ち出されている。結論からいえば、魂の輪廻転生を否定した三島は、生まれ変わって復活するのは何かという宿題を読者に残した。
 ということが書かれていたのを読んで、目から鱗だった・・・

結婚する前、結納を済ませた頃だったと思うけれど、お見合いでであった夫の本棚の中に、三島由紀夫の『日本文学小史』を箱入装丁で見つけ、震えるような手でページをめくった。書かかれた文字を通じて霊動が指先に伝わってきて、「この人の妻になろう・・・」と、こころの中で決意した。そのときのことは、まだ、息子に話したことがない。だから、高校生になって、「現代国語」の教科書に載っていた三島の「美神」という小説をきっかけに、それまでのテニス少年が、一変して文学に目覚めてしまったという変貌ぶりに、母親としては、今だに、驚異の念を禁じえない。山中湖で開催された三島文学記念館でのシンポジウム(休日の過ごし方 | 山中湖村公式観光ガイド | 富士五湖・山中湖周辺のおでかけ&観光公式ガイド【 山中湖村観光産業課 】)にも参加してドナルド・キーン佐伯彰一氏のサインをもらって喜んでいた高校生が、そのまま、突っ走って・・・突っ走るのは母親に似たのかもしれないけれど、情熱だけじゃない理性は父親から譲り受けたのか・・・