秋祭り

lyra2005-11-05

 友人から、雅楽の奉納演奏があるとお誘いのあった神社の宮司さんに電話して、詳しい式次第をFAXで送っていただいたのは、昨日のお昼頃だったが、そのあと、神社のお祭りなど大好きでどこでも出かけているらしい、アラムさんに連絡を入れたら、すでに、春にその神社には、お参りされたことがあるらしく、それでも、できるだけ都合をつけてカメラをぶらさげて行きましょう!ということだったけれど、やはり、都合がつかなかったのか、見あたらなかった。
 オーストラリア人のジム・ケーブルさんが、カメラを肩にぶらさげて、写真をとりまくっておられる姿が目に入る。Oさんが、その姿を見て「あの人、素敵!」と気に入られたようなので、あとで、紹介してあげた。ジムさんも、別の大学で教えておられるけれど、この神社でも、子供達を中心に(神主さんや総代さん達にも)レッスンしておられるらしい。「Can I join?too old?」とついでに聞いたら、年齢関係なく、どうぞということだった(笑)
 11時からの本殿での献餞や祝詞奏上などのご神事、玉串奉奠のあとは、野外の仮設舞台での神前奉納の、雅楽剣舞、岩笛、水神太鼓の演奏。なかなか、どれも素晴らしかった。最後に、餅蒔き、記念撮影。その合間に、宮司さんに御挨拶。きょうの主役でお忙しそうなので、すぐに場を離れたら「きょうは、取り込んでますが、また、話にきてください」と言われたので、アラムさんに紹介しようと思って、バッグの中に持ってきていた、瀬織津姫様に関係する本をお見せしたら、御存知ないらしくて「貸してください」と言われたので、置いてきた。水神様をお祭りしている、その神社のご祭神の一柱。実は、その本(http://www5.ocn.ne.jp/~furindo/emishi.html)は、いわくつきで、伊勢神宮伊雑宮からは、多少の圧力がかかったとかいうもの。何年か前に東北にお住まいのその著者から、できたら、ご由緒を送ってほしいと、そこの神社を紹介されて、訪ねたことがあったのだった。そんな詳しい事情までは、説明する時間がなかったけれど「その本の中に、ここの神社もでてたんですよ」とだけ、一言、伝えた。だから、そのとき、お逢いしていたかもしれない。さわやかなお人柄の方で好感がもてる。
 瀬織津姫様については、大祓いの祝詞にわずかに登場されるだけなので、御存知ない方の方が、多いかもしれない(http://homepage1.nifty.com/dragon-heart/ura19seorituhime.htm
 瀬織津姫様に関しては、日貫の龍神道の会を主宰されているY女史とも関係があり、そういうことを知らないまま、直観で、出版社のオーナーを紹介したら、行動的なY女史は、すぐさま、連絡をとられて遠野の地へ運ばれたり、お互いに行き来された由。瀬織津姫様をとりまく霊的なご縁は、とどまるところなくゆっくりと進行中なのか・・・天照(アマテラス)は、男神様だったのに、なぜ、女神様になったのか・・・また、アマテラスとスサノオは、姉弟ではなく、夫婦だったとか、日本神話の謎は、つきない。記紀が、政治的な陰謀で史実を正確に叙述していないから、そして、神道の神典は、古事記ということになっているから、わからないのも無理はない。しかし、同様のことは、キリスト教の神典である聖書にもいえる。みんな政治の道具にされちゃったのだ。
 今回、秋祭りの玉串奉奠の奉納者も県内・市内のの政治家の多かったこと。実家の父は、そういう政治家とのお付き合いが苦手だった。その母親、つまり、祖母は、村長の娘だったから、祖母は、政治的な関心が強くて、当時、大学生だった孫のわたしにも、話題を振ってくるほどだったし、父も知識としては、詳しいけれど体質的に政治家を敬遠する感じで、まぁ、生来の歌人とでもいうのか、万年文学青年だろうと思うけれど、年とともにちょっと気難しくなってきている。父の純粋さには、いつも、心が洗われるようで高貴な魂の持ち主だと思っているけれど、親子というのは、なかなか、真面目に話しがしにくくて、今回、たまたま、列席させていただいた神社の秋祭りに元社家の娘としては感ずる所、大なりで神道を少し客観的に離れてながめることができた。憧れの世界としてみれば、平安貴族さながらの雅の世界だけれど、その内側での大いなる苦悩の伝統の世界をも垣間見る立場を体験したということも、今生での魂の学びだったのだろうか?