お友達

 陶芸家のS先生の春の個展に誘ったお友達が、それをきっかけに、その先生の教室で陶芸を始められてから半年経ちロクロも廻せるようになられた。それで「ご飯茶碗」ができたからもらいに来てと言われていたので、お宅に伺った。S先生も、こないだの秋の個展の折、彼女の上達ぶりを誉めておられたけれど(真面目な会話もしたから)、お玄関に置かれていた、素焼きのキャンドル立てを見て、まず、驚く。デザインは、モナリザ・クロスから・・・先生にも、「斬新なものを作るのですね」と驚かれたといっていた。彼女の秘められた才能が開花するのを感じる。いまどき、めずらしいくらいに古風な女性で、大勢の中にいたら、けして目立つ存在ではないけれど、家庭的で控えめで心が落ち着く。それに、彼女、いつも自分からは、話さないのだけれど、2階から、次々に本をもってきてくれて、こんな読書家だとは思わなかった。なんて謙虚な人なんだろう!と思ったら「わたしは、読んでも固有名詞とか覚えられないの。だから、N子さんが、話してる内容はわかるんだけれど、自分からは話せなくて・・・N子さん、どうやって覚えるの?」と、真面目に質問されてしまった。結婚してから子育て期間中は、いつもいつも、4〜5歳くらい年上のお母さんと背伸びしながらお付き合いしてきたけれど、彼女とは、同じ年だということもあって、なんだか、昔、小学生だった頃の女の子同士のおつきあいの感覚を思い出す。
 共通の知人の話題になったとき「○○さん、努力家よね〜」と、彼女がいったので「○○さん、団塊の世代だもんね」と、言いたくて「ダンコンの世代」と言ったら、ちょっと、変な顔して「その言い方、ちょっとマズイと思う」「え?」「ダンカイというのよ」「・・・ふ〜ん、なんて読むのかと思ってた」それで、帰宅して、夫に、その話をしたら、「まぁ、ふつう、知性と教養と教育のある人は、ダンコンとは読まないよ(笑)意外とものを知らないんだねぇ」と困ったような笑いをしていた。
  きょうは、そのお友達のお宅に近い、もう一人別のお友達のお宅にも寄った。この夏、息子さんが、病気で急になくなられたので、ずっと気になっていたら、一週間前に留守電で「もう、だいぶ、元気になったから」とメッセージがあり、でも、そのあとで話すと「気持ちが落ち込んで人中にでるのが億劫になって」と言われていた。それで、なんとか、励ましたいなと「ネバーランド」のDVDをプレゼントしようと思っていたら、丁度、昨日、届いたので、ピンクの薔薇の花束とメッセージを添えて、届けた。週の後半の夕方は、お習字の教室で教えておられるということなので、ちょっと、安心した。家の中で、猫を飼ってて、その猫はオスなんだけれど、人懐こいのか、近寄ってきて、薔薇を食べようとしたり、背中を丸めてストレッチしたり、活発な大きな猫だった。すると、2階でお昼ねしてるといってたうちの一匹のメス猫も下りてきたのだけれど、うってかわって、しなやかな身のこなしの水色の瞳をした美しいしぐさの猫なのでびっくりした。彼女の話では、その猫だったら、3匹でも飼えると思って、その3匹目がオスで、こんな腕白になると思わなかったと子猫だったときの写真を見せてくれた。なんやかやと、話しながらも、やはり、彼女の悲しみは隠せない。無理して忘れなくてもいいのよ・・・と彼女に伝えたかった。
“お母さんのこころの中に生き続ける、○○○君の思い出を大切にしてあげてくださいね。母親の中で、男の子は、いつだって、ピーターパンなのだから・・・”というカードを入れておいた。「ネバーランド」のファンタジーの世界で思いっきり涙を流してほしい。悲しみの涙は、やがて浄化の涙へと変わるかもしれないから・・・