景色が美しい

 台所とお風呂のガスが同時に点火しにくくなったので、電話したら、いつも、メーターの検針にきてくれてる女性の方が、お隣の市から、すぐに来て下さった。それから、会社の人と携帯で話されてたら、キャッチが入ったので、一旦、中断して、また、その人に「できたら、来てほしい」と言われたときには、もう、その人はこっちに向かっておられるということで、到着されたときには、一昨年だったか、ガステーブルを取り替えたときに来てくれていた人で、人の顔をおぼえないわたしの記憶にも残る方だったので、思わず「あ、サーカスを見るのがお好きな方でしたよね?たしか、あのときは、ボリショイだったか・・・」というと、もう、早口でサーカス団の名前をいくつか言われたけれど、覚え切れなかった。新しい単1の電池を2つもってきてくださって、それだとすぐに着火した。昨日、電池交換のランプがでていたので取り替えたと思ったけれど、よく、考えたら、滅多に使わない単1の電池は、Y2kのときに買い置いていたものだったから、放電してしまったのも当然かもしれない。お風呂の方の問題は、もっと、大変で同時に調子がおかしくなったのは、偶然で、早めに気がついてよかった。結局、明日、装置を取り替えることになった。もう、15年も持ちこたえていたのは、置いてる場所が良かったからみたいで、2人とも驚かれていた。着火を試しているあいだに、本当に、作動しなくなったので、夜は、お風呂に入れないかと思ったけれど、夫が帰宅してセットするとお湯になった。
 午前中は、そんなガスプロブレムで、そのすぐあとは、センターから電話が入り教室の運営に関してのことで話をしたあと、軽く昼食をとり、ようやく、12時半くらいに家を出て大学に向かう。運転しながら、生徒のことだとかなんやかやと雑念が浮かんでは消えて、正門が近くなって、正気にもどると、ふと、目の前の景色が視界に入った。それは、美しい、山々の緑と紅葉だった。「まぁ、なんてきれいなんだろう!」と、感動した途端、両方の目から突然の涙が溢れてきて、運転中なのでハンカチで拭うこともできないまま、駐車場に向かった。それは、とても、不思議な体験だった。
 「宗教と文化」の4回目は、「いま、仏教は」という浄土宗西山派の僧侶で、非常勤講師のお話だった。半年前に伴侶をなくされて初めて死を身近に感じたという話をされるまでは、そんな悲しみなど微塵も感じられないような元気の良い方だった。とても、情熱的で感動的な講話だった。最初に京都の永観堂禅林寺で住職研修会があったときの写真をパソコンから何枚も見せてくださった。そこは、紅葉で有名なお寺らしい。たまには、何も考えないでお寺を歩いてみてください。紅葉をみながら、涙するっていう場面でもあれば、かっこいいですよね。と言われたときに、ついさっき、正門で山々を見て、ふいに涙がでてしまったことを思い出した。そういうことって、あるんだろうか?今まで、自然の景色を見て涙するなんて20代の乙女の感傷に浸る時期にも経験したことがなかったのに・・・
 帰りの道では、きょうのお坊様のお話は、とてもわかり良かったし何ひとつ間違ってはいなかったけれど、でも、何故、もっとお話したいとは思わなかったのだろうと自問しながら運転した。答えは、「新しいヴァイブレーションを感じたかったのだ」ということ。その方は、葬式仏教といわれる仏教を逆に活かしていこうとされていて、とても意欲に満ちていて素晴らしい方だった。努力家でもあると思う。でも、今までの延長線での新しい感覚にしかすぎなくて、宗教の枠からでてはいない思考回路だった。きっと、わたしの方が変わっているのだと思う。